※最初にお断りです。
この記事は、私がブログ初心者時代に書いただいぶ前のものなので、細かいことは気にせずに温かい目線で読んで頂ければと思います^^;
今回は、別居して離婚しそうだったけど再構築した話をします。
この記事の内容は実話ですので、内容はほぼ自分語りの記事になっています。
はじめに我が家は「夫・妻(私)・子」の3人家族です。
現在はわりと仲がいいほうだと思いますが、子どもが生まれたばかりの頃は大変ツラかったです。
しかし別居してリセットしたことで、夫婦仲を再構築できました。
こんな家族もいるよ、という一例としてどうぞ。
【別居から離婚】現在の日本の離婚率
現在日本では離婚率が35%前後だそうで、1年でおよそ3組に1組が離婚しているとのこと。
この数字を多いか少ないか判断するのは難しいですが、私は”できれば離婚せずにやっていきたい”と思い、現在に至ります。
そして、せっかく婚姻関係を続けるならギスギスした生活ではなく、楽しみながら暮らしていきたいと思っています。
私達夫婦は最初から”性格の不一致”だった
はじめに、私たち夫婦は性格が正反対です。
夫はあまり物事を深く考えず、興味のあるものにはとことん突っ込んでいくタイプです。
一方、私は慎重すぎるゆえに石橋を叩きまくってたまに壊すようなタイプです。
代表的な離婚理由として”性格の不一致”というものがありますが、私たちもまさに性格の不一致で離婚しそうでした。
結婚前は「自分にはない考えを持っていて魅力的だな」と思っていましたが、いざ暮らしを共にするとその魅力が仇となりました。
あまり物事を深く考えない夫に不安を抱き、発言の無責任さに不信感を覚え、夫婦仲はどんどん険悪になっていきました。
そして夫は興味のあるものしかやらないタイプなので、家事は基本ノータッチでした。(出勤前にゴミを出すだけ)
そんな生活の中、出産を迎えました。
子どもが生まれたばかりの女性は”ガルガル期”といって、ホルモンのバランスが乱れ、周囲に攻撃的になりやすくなると言われています。(ガルガル期とは俗称であり、正式な医学用語ではありません。)
出産後ガルガルしていた私は、度重なる不信感から夫に何度も集中砲火を浴びせていました。
「家事を手伝え!育児を手伝え!」とかそんな内容です。
夫も負けん気が強く、その都度言い返してきていました。
「ゲームで手が離せない」とか、「俺には無理」とか言ってました。
もう、毎日「手伝え!」「無理!」の押し問答で、夫婦喧嘩が絶えませんでした。
そんなある日、いつものように夫婦喧嘩をしていたら、とうとう通報されました。
おそらくご近所の人が、日頃からの騒音に耐えかねて電話したのでしょう。(その節はお騒がせしてスミマセンm(__)m)
その件をきっかけに、お互いの両親とも話しあい、別居することにしました。
いよいよ別居開始!離婚寸前だった当時を振り返る
私と子どもはそのまま、当時住んでいたアパートに残り、夫は自分の実家へ帰りました。
別居して数か月後、長期出張を控えていた夫が荷物を取りにアパートへやってきました。(夫は出張族です)
当時は狭いアパート住まいでしたので、旦那が玄関から部屋に入ってくる音、部屋でゴソゴソしている音も全て聞こえていましたが、無視していました。
無視してテレビを見ていると、そばにいた子どもが父親を見つけて嬉しそうにしていました。
そして、ニコニコしながら父親に向かってハイハイしていきました。
父親に近づこうとする子どもをみて、なんだかいたたまれない気持ちになり、私はとっさに数日前に支援センターでもらったチラシを手に取り、夫に見せました。
そして「子どもと一緒に、このイベントへ行ってきて!」と頼みました。
それは父親参加型のイベントのチラシでした。
夫の日程も、ちょうど出張直前ではあるが都合がつく、とのこと。
その時の私の気持ちとしては、離婚する前に、最後に子どもとの思い出を作ってもらおうと差し出したつもりのチラシでした。
当時の心境を夫に聞いたところ「行けと言われたから行っただけ」だそうですが、私はこのイベントを通して父親の存在の重要性に改めて気づきました。
いろいろと性格に難はあるけれど、この人はこの子の父親なんだ、と思いました。
詳細は省きますが、夫はともかく、イベント中はずっと子どもが楽しそうにしていました。
そんな光景を見ていると、ぼんやりとではありますが、離婚することで父親と子どもが離れて暮らすのはよくないのではないか?と感じました。
夫はゲームが大好きな気分屋ですが、ゲームから離れている時間でしたら、頼まれた用事をそつなくこなす面もあります。
なので、私がうまく手綱を握ればなんとかなるかもしれないと考えました。
また現実問題として、私は子育てを実家に頼ることができず、かといってバリバリのキャリアウーマンでもありません。
ひとりで子育てしながら仕事をするのは、稼げる給料にも限界があると思いました。
別居終了!同居を再スタートするも…
夫はイベントが終わって、長期出張へ出かけました。
そして出張から戻ってきた夫に、私は同居の再スタートを提案しました。
夫からは「なんで?べつにいいけど・・・」みたいな返答でした。
正直なことをいうと、この時プロバイダを別の会社に変えたばかりで設定がわからず、PCに詳しい夫に早急に対処してほしかっただけなのが本音でした。
が、再スタートのタイミング的にもちょうどいいかな、と思いました。へへ。
無事に設定もおわり、ネットもサクサク繋がるようになって、ひさしぶりに3人揃っての同居再スタートでした。
ですが、しばらく別居していたのもあり、なんだかぎこちない、よそよそしい雰囲気のスタートでもありました。
あんなに対抗心でメラメラ燃えていた夫が、どこか”遠慮がち”になっていました。
別居して距離を置いたことで、例えるなら「喧嘩別れした友達と数年ぶりに再会した」ような雰囲気でした。
以前のような激しい夫婦喧嘩もなくなり、比較的穏やかな生活になりました。
お互いに遠慮がちになっていたので、私も以前のように「〇〇やってよ!」という言い方ではなく、「〇〇やってくれる?」みたいな頼み方ができるようになりました。
夫も「いいけど・・・」といってわりと家事を手伝ってくれるようになりました。
調子にのってあれもこれもと頼んだらたまにキレてましたが、以前よりはだいぶマシになりました。
夫と子どものふたりきりで過ごしてもらう
家事をやるようになって少しレベルアップした夫に、家事ばかりではなく育児にも積極的に関わってもらおうと、子どもと二人だけの時間を過ごしてもらうように仕向けていきました。
夫は「子どものことはなんでも母親がやるもので、自分は邪魔になるだけだから何もしなくていい」と思っていたようですが、
子どもとふたりで過ごすことで、次第に「自分にもできることがある、自分は子どもから必要とされている」と思い始めたようでした。
とはいえ、夫は基本的に子どもがあまり好きではないようでしたので、わが子だけでも好きになってもらおうと思い、親子の絆を意識してもらう作戦にでました。
具体的にいうと「(子どもの)足の形がお父さんそっくりだねー!やっぱり親子なんだねー!」と言ってみたり、
夫と子どもの食べ物の好みが合う時は「やっぱり好き嫌いも遺伝してるんだねー!」とか、
なんでもいいので「やっぱり親子なんだね」という点をアピールして「この子はあなたの子なんだよ、お父さんのことが大好きなんだよ」という思考を刷り込んでいきました。
そうすると不思議と夫も「やっぱり俺の子どもなんだな・・・、なんかかわいいな・・・」という思考へチェンジしていき、我が子にだんだん興味が湧いてきているようでした。
この作戦は功を奏して、現在では、長期出張に出発する前など、名残惜しそうに子どもを抱きしめたりするようになりました。
そんな姿をみると「ああ、なんか平和だな、軌道修正できてよかったな」と思います。
夫と妻、ふたりだけの時間も大事に
夫は現在、家事・育児にも慣れてきて、家にいる時はわりとなんでも手伝ってくれるようになりました。
子どもとふたりでお出かけもできるようになりました。
ふたりでお出かけしてくれると、私にもひとりの時間ができて、心に余裕がでてくるようになりました。
そんなタイミングで夫に「たまにはデートしよう!」と私から提案しました。
というのも、最近やっと子どもが夫の実家でお泊りができるようになったので、夫の両親の仕事が休みの時はたまに息子を預けて夫婦でデートしています。
数か月に1回ではありますが、最近の私の楽しみのひとつでもあります。
ここまでくるのに約5年かかりましたが、家事や育児に対して心の余裕を持てたことで、自分自身の思考もポジティブになりました。
まだまだ人生長いですし、せっかく縁あって一緒になった訳ですから、楽しまなくちゃ損だなと前向きに考えられるようになりました。
【実話】別居して離婚しそうだったけど再構築した話丨まとめ
別居していた当時は、本当に思い悩んでいて、求人サイトを毎日チェックして仕事を探したり、離婚について弁護士さんのところへ相談に行ったり、ひとり親世帯向けの自治体の手当てを調べたり・・・
夜は子どもの寝顔を見ながら、ほぼ毎日泣いていました。
とはいえ、自分次第で人生はこんなにも変わるんだと実感しました。
今は、軌道修正できてよかったと、心の底から思っています。
そして、自分次第で未来は変わるんだよ、とあの頃の自分に教えたいです。
もし今、小さな子どもを育てながら離婚を考えている方がいらっしゃったら、一旦別居してリセットしてみるのもアリなんじゃないかな、と思います。
ただ、別居してそのまま離婚する確率の方が高いので、挑戦するなら慎重になさってくださいね^^;